玄冬記

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節分は季節の節目。
寒い冬から、新しい息吹を導く春へと移り変わる時です。







父の四十九日の法要が終わりました。
寒い中にも、暖かみの感じられる日差しが嬉しい日でした。







父が亡くなった知らせは、兄から昨年12月17日の朝にありました。
私の手術が終わった翌々日です。

入院中に連絡を受けた私は、瞬時に色々な事が脳裏を巡りましたが「えーっ」という言葉しか出てきませんでした。
他に表現できる言葉がなかったのです。
それから、会話にならない単語だけで看護師に事情を説明して急いで実家へ車を走らせました。



実家に着くと、警察の方が検視を行っておりました。
兄は電話の時とは違って、落ち着いた様子で私に事情を説明してくれました。


私と兄は高校まで実家で過ごしましたが、大学・就職は県外となり、それ以来両親は二人だけで暮らしています。
二週間前から母が入院しているため、その日は自宅に父一人きりでした。
それを心配して兄が、毎晩就寝前には電話を掛けてくるように父に伝えていましたが、前日の夜は無かったのです。
そして翌日、心配した兄が実家へ帰り、父を見つけた時には既に息を引き取っていました。

亡くなった日の夕方に母と普通に電話で話していたので、体調を崩していたわけではなく、医師の診断ではヒートショックのような心臓による事が原因ではないかということでした。



それから入院していた母も一時退院し、悲しむことも忘れるくらい何から何まで慌ただしく進み、葬儀の日を迎えました。

葬儀が終わって斎場までの道すがら、父が現役時代に働いていた会社の車が父の前を横切りました。
後から母に聞きましたが、斎場から帰る時も会社の車が通ったそうです。
そしてその後に、父がもうひとつ前に働いていた会社の車も横に並んだそうです。

「父ちゃんに、よー頑張ってくれたねと伝えに来てくれたんやね」と母が呟きました。
涙が出ました。

確かに、父は仕事の人でした。
今では月の残業が80時間を超えるとブラックだなんだと騒がれるけど、父の時代は100時間超えも当たり前の頃。
週に1日の休みも保証されたものではない時代です。朝5時から夜10時頃まで、毎日働き尽くめでした。

小さい頃に父と遊んだ思い出はありません。
でも寂しいと思った事は一度もありません。
家族のために働いてくれている事を知っていたから・・・。








享年87歳。
父は誰にも看取られることなく、一人で逝きました。
常日頃から「絶対に子供たちに迷惑を掛けないようにしたい」と言ってた父。
その死はある意味、本人の希望通りだったのかもしれません。

父は幸せだったのでしょうか?
もちろん聞いたことなんてありません。
でも、「私は幸せでしたよ。ありがとう。」



出会える人の数よりもなお

別れる人の数が増えてきた。

いつかは来ると今日という日が

いつかは来ると知っていた。


谷村新司  玄冬記=花散る日= より引用




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Comments 2

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2018/02/04 (Sun) 16:38 | EDIT | REPLY |   

ヒロ  

Re: ロッシさん

お言葉ありがとうございます。
いざ父が亡くなっても、思ってたほどの哀しみはないのが正直なところです。多分このあと、時に応じて思い出すでしょうが笑顔で過ごしたいと思ってます。寒さが和らいだら、また動き始めますよ。

2018/02/04 (Sun) 18:41 | EDIT | REPLY |   

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